出雲と勾玉の物語|神々の国はなぜ玉造の里になったのか

出雲と勾玉

出雲は「神々の国」と呼ばれます。そしてもうひとつ、あまり知られていない顔があります。古代日本を代表する「玉の国」だったという顔です。この記事では、勾玉という不思議な玉の正体から、出雲大社と国譲り神話、玉作の里の物語まで、神々の国と玉の深い縁を、協会会長監修のもとたどっていきます。

目次

勾玉とは何か|日本人がつくった祈りのかたち

勾玉(まがたま)は、頭が丸く尾が曲がった、あの独特の形の玉です。神社の授与品で、博物館の展示で、誰もが一度は目にしたことのある形でしょう。世界の装身具の歴史を見渡しても、この形は日本列島とその周辺にしか見られない、きわめて日本的な造形です。起源は縄文時代にさかのぼり、弥生、古墳時代へと受け継がれ、身分の高い人々の装身具として、そして祭祀の道具として用いられました。

なぜこの形なのか。母の胎内の子の姿、月の満ち欠け、獣の牙、魂そのものの形など、由来には古来さまざまな説があり、いまも定説はありません。ただ、古語で魂を「たま」と呼び、玉もまた「たま」であることは示唆的です。玉は魂の宿る器であり、身につけることは魂を身に帯びることだった。勾玉が単なる飾りではなく祈りの道具だったことは、それが祭祀の場から出土し続けている事実が物語っています。

勾玉の素材にも、選ばれ方がありました。最も尊ばれたのが糸魚川の翡翠、そして出雲の碧玉、めのう、水晶。硬く、磨けば深い光を放つ石が選ばれています。硬い石を、鉄器の乏しい時代に砥石と砂で削り、磨き、穴を穿つ。一つの勾玉に注がれた時間を思えば、玉が贈り物の最高位とされ、神への捧げ物とされた理由がよく分かります。

その頂点にあるのが、皇位とともに受け継がれる三種の神器のひとつ「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」です。鏡、剣、そして勾玉。国の最も神聖な宝物の一つに玉が選ばれていることに、日本人と玉の関係の深さが集約されています。

国譲りの舞台・出雲と出雲大社

その玉の物語の中心にあるのが、出雲です。『古事記』が伝える国譲り神話では、大国主命が築き上げた葦原中国を天照大御神の子孫に譲り、その代わりに壮大な宮殿が建てられたとされます。それが出雲大社の起源と伝えられる物語です。実際、出雲大社の本殿は現在も日本最大級の規模を誇り、古代にはさらに高くそびえていたという伝えもあります。境内から発見された巨大な柱の痕跡が、その伝承に現実味を与えたことは、記憶に新しい発見でした。

旧暦十月を、出雲では「神在月(かみありづき)」と呼びます。全国の神々が出雲に集うとされるこの月、他の土地では神無月。年に一度、日本中の神々が集まる場所。そんな伝承を持つ土地は、出雲のほかにありません。

大国主命は、国づくりの神であり、縁結びの神であり、そして翡翠の姫神・奴奈川姫にはるばる求婚した神でもあります。玉の姫に求婚した神の国が、玉作の国になる。神話と歴史が、ここでも美しく響き合います。

神話のなかでも、玉は要所に現れます。天照大御神が岩戸に隠れた場面で、岩戸の前の榊に掛けられたのは、鏡とともに玉飾りでした。神々が最高神を招き出すための道具立てに、玉が選ばれている。古代の人々にとって玉が持っていた力の大きさを、この場面ほど雄弁に語るものはありません。

『出雲国風土記』(奈良時代に編まれた出雲の地誌)には、この地の玉作が記されており、出雲の玉が単なる地場産業ではなく、国家に認められた特別な生産であったことがうかがえます。

花仙山と玉作部|玉を作り続けた人々

出雲の玉作の中心地が、松江市の花仙山(かせんざん)です。この山から採れる深い緑の碧玉、出雲石を素材に、麓の里では古墳時代を中心に、大量の勾玉と管玉が作られました。周辺の遺跡からは工房の跡、作りかけの玉、砥石が次々と出土しており、ここに「玉作部(たまつくりべ)」と呼ばれる専門の工人集団がいたことが分かっています。

その里の名が、玉造(たまつくり)。いまは山陰随一の名湯・玉造温泉として知られるこの土地の名前そのものが、玉を作った人々の記憶なのです。里の鎮守・玉作湯神社には、玉作の祖神・櫛明玉命(くしあかるだまのみこと)が祀られています。天岩戸の神話で、岩戸の前に掛けられた玉飾りを作ったと伝えられる神様です。境内の「願い石」に触れて祈る参拝は、玉の里ならではの信仰のかたちとして、いまも多くの人を集めています。

出雲の玉作は古墳時代で終わりません。各地の玉作が衰えていくなかで出雲だけは律令の時代まで生産を続け、都へ玉を送り届けました。日本の玉文化の最後の砦が出雲だった、と言ってもよいでしょう。

勾玉が結ぶ、出雲と日本

面白いのは、出雲の遺跡から出土する勾玉の素材です。地元花仙山の碧玉だけでなく、遠く糸魚川の翡翠で作られた勾玉も見つかっています。逆に、出雲で作られた碧玉の玉は、日本各地の古墳へ運ばれていきました。翡翠の高志、碧玉の出雲。二つの玉の国は、日本海の道で結ばれていたのです。大国主命と奴奈川姫の求婚神話を、この交流の記憶として読む見方があることは、奴奈川姫の記事でも紹介した通りです。

緑の勾玉、と聞いて私たちが思い浮かべるあの色は、翡翠と出雲石、二つの緑の石が数百年かけて作り上げたイメージです。素材としての出雲石の特徴や選び方は、図鑑の出雲石の記事で詳しく解説しています。

出雲をたどる旅

現代の私たちにとっても、勾玉は過去の遺物ではありません。神社の授与品として、お守りとして、アクセサリーとして、勾玉はいまも作られ、身につけられています。数千年前に生まれた祈りのかたちが、素材も用途も変わりながら、途切れずに続いている。世界を見渡しても、これほど長く生き続けている装身具の形は稀です。

出雲を訪ねるなら、出雲大社の参拝とあわせて、玉造温泉まで足を延ばしてみてください。玉作湯神社に参拝し、周辺の玉作の資料館で出土した勾玉や工房の道具を見る。そのあとで温泉に浸かれば、千数百年前、玉を磨いた工人たちも同じ湯に癒やされたのかもしれない、という想像が湧いてきます。神々の国の旅に、玉の里という一章を。出雲の見え方が、きっと変わります。

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この記事を書いた人

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