籠目とは|竹籠の編み目が魔除けになった理由と、石との関わり

籠目|竹籠の編み目から生まれた魔除け

竹籠を裏返して、光にかざしてみたことはあるでしょうか。編み目が六角形の連なりになって見えます。この模様を「籠目(かごめ)」といいます。台所の道具から生まれた模様が、なぜ魔除けとして家の軒先に掲げられるようになったのか。この記事では、日本糸魚川翡翠協会会長のコラムを核に、暮らしのなかで育った魔除けの仕組みをたどります。

目次

籠目とは、竹籠の編み目のこと

籠目は、もともと文様として考案されたものではありません。竹を編んだ結果、自然にできた形です。

竹籠の編み方のひとつに「六つ目編み」があります。竹ひごを三方向に交差させて編んでいくと、隙間が六角形になります。この編み方は丈夫でありながら軽く、風通しがよいため、野菜を運ぶ籠や魚を入れる籠など、実用の道具に広く使われてきました。

その六角形の隙間ひとつひとつを、日本では「目」と呼びました。籠の目。だから籠目です。

会長のコラムには、この文様が日本でどう扱われてきたかについて、こう記されています。

日本では「籠目紋(かごめもん)」や「六芒紋」として古くから使われています。

編み目という実用の産物が、いつしか描かれる文様になり、名前を持つようになった。道具の形が、そのまま意味を持ち始めたわけです。

なぜ「目」が魔を退けるのか

籠目が魔除けとされてきた理由は、この「目」という呼び名にあります。

日本には事八日(ことようか)という行事があります。2月8日と12月8日に行われるもので、中部地方以東では両月とも、北陸から西日本では12月に重点を置いて行われてきました。この日には、疫病神や魔物、一つ目小僧、みかわり婆といったものが家を訪れるとされ、家々ではそれを防ぐ支度をします。

その支度の中心が、軒先に目籠を高く掲げることでした。あわせて、門口にヒイラギやイワシの頭、ニンニクを取り付ける地域もあります。

なぜ籠なのか。神奈川県海老名市に残る記録に、その理屈がはっきり書かれています。

この地域では12月8日を「八日僧(ようかぞう)」と呼び、夜になると真っ赤な目をひとつだけ持つ一つ目小僧が家々を回り歩くと伝えられていました。しまい忘れた下駄には焼き印を押し、雨戸の閉め忘れや戸締まりの不備は帳面に書き込んで、懲らしめのため翌年その家の誰かを伝染病にしてしまう。だから夕暮れが近づくと、履き物を家に取り込み、戸を閉める。

そして一つ目小僧には、たったひとつ弱点がありました。目のたくさんあるものを極度に恐れるのです。そうしたものに出会うと「これはかなわん」とばかりに頭を抱えて退散してしまう。だから籠類を庭に置いたり、戸口に吊るしたりしたのだと記録は伝えています。

ここにあるのは、数で圧倒するという発想です。ひとつしか目を持たないものに対して、無数の目を持つ籠を掲げる。力で戦うのでも、封じ込めるのでもなく、ただ目の数で上回る。ずいぶんと素朴で、そして具体的な仕組みです。

籠に、小石を入れた土地

この魔除けの支度に、石が加わっている記録があります。

埼玉県熊谷市の江南地区では、12月8日を「鬼が飛ぶ晩(オニガトブバン)」や「デエモンガエシ」と呼びました。この日、物干し竿のような長い竹の先に「ミカエ」と呼ばれる籠をつけ、そのカゴにネギなどの臭いものと小石を入れて、夕方に屋根の庇へ立てておきます。化け物や魔物避けのためです。

籠の目、強い匂い、そして石。三つの異なるものが、ひとつの籠のなかで組み合わされています。

目は数で圧倒するもの、匂いは近づかせないもの、では石は何を担っていたのでしょうか。記録は理由まで書き残していません。ただ、日本には石そのものを魔除けや境の守りとして置く営みが古くからあります。国土を鎮めるとされてきた石については要石とは|国土を鎮める石の信仰と、玉に託された祈りで読み解きましたが、動かない石を置いて境を守るという発想は各地に見られるものです。

沖縄や鹿児島に多い石敢當も、道の突き当たりに石を据えて魔の直進を止めるものでした。籠に入れられた小石も、そうした系譜のどこかにあるのかもしれません。軽い竹籠のなかに、あえて重い石を入れる。その組み合わせに、当時の人々が何を考えていたのかを想像する余地があります。

一つ目の神と、石を扱う人々

一つ目小僧については、民俗学者の柳田國男が踏み込んだ考察を残しています。

柳田は『一目小僧その他』のなかで、妖怪とは零落した神であるという仮説を提唱しました。恐れられている化け物は、かつて祀られていた神が信仰を失って落ちぶれた姿ではないか、という見方です。

そして一つ目については、天目一箇神(あめのまひとつのかみ)の信仰と関連づけました。天目一箇神は製鉄の神とされ、炉の火を見続けて片目を病んだ者を祀ったものだと考えられています。柳田はここに、零落した山の神の面影を見ました。

もしこの見方に沿うなら、一つ目とは石を扱う人々の姿だということになります。鉱石を掘り、炉に入れ、溶ける様子を目で確かめる。その営みを続けた者が片目を損ない、やがて畏れの対象となり、時代が下って妖怪として語られるようになったという筋道です。

ただし、片目と神の結びつきをめぐる解釈には今なお議論があります。当メディアでは、これを確定した説としてではなく、ひとつの読み方としてご紹介しています。

それでも、この見方には惹かれるものがあります。日本には出雲のたたら製鉄をはじめ、石と火を扱ってきた土地が各地にあります。玉を作る集団もまた、石と長く向き合ってきた人々でした。出雲と勾玉の物語|神々の国はなぜ玉造の里になったのかでご紹介したような技術の集団が、どのように見られ、どのように語られてきたのか。軒先の籠と、炉の前の職人が、ひとつの線でつながる可能性があるというのは、それ自体が面白い話です。

形に意味を託すということ

籠目は、いまも文様として生きています。着物の柄に、家紋に、そして石に刻まれるお守りとして。

ここで、この文様の性格をはっきりさせておきたいと思います。会長は、こうした形について明確に線を引いています。

科学的に、六芒星の形状自体に特別なエネルギー作用があることは証明されていません。一方で、宗教・伝承・スピリチュアルな世界では、守護や調和の象徴として広く用いられています。

当メディアもこの立場を取ります。形そのものに働きがあるわけではありません。ただ、その形を選び、刻み、身近に置いてきた人々の営みは確かにありました。

石に意味を託す方法には、二つの系統があります。ひとつは形そのものに意味を持たせるもの。勾玉がその代表で、なぜあの曲がった形なのか、なぜ形が一つに定まらなかったのかについては縄文勾玉の形に隠された意味|多様な形は一族のしるし?で読み解いています。

もうひとつが、石の表面に文様を刻むものです。籠目はこちらに属します。石という素材はそのままに、そこに人の暮らしから生まれた形を写し取る。

竹を編んだ隙間が、魔を退ける目になり、家紋になり、やがて石に刻まれる。台所の道具から始まった形が、これだけの距離を移動してきたことになります。籠目の入ったお守りを手に取るとき、その形の出発点が、誰かが野菜を運ぶために編んだ籠だったことを思い出していただけたらと思います。

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この記事を書いた人

長年の経験から培った豊富な知識を活かし、お客様お一人おひとりに寄り添う石選びをサポートしています。
ありがたいことに、お客様からは「どんなお店よりも応対が丁寧で安心できる」という温かいお言葉をいただくことも多く、それを励みに日々、丁寧な接客を心がけております。こちらのブログでは、天然石の奥深い魅力や、日常への取り入れ方を分かりやすく発信していきます。

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